
磐南ゆかりの47人
卒業生の仕事と、磐南で学んだ人の作品をたどります。色の付いた引用欄は、本人の言葉、所属先の紹介文、論文などからの短い引用です。肩書や活動は各資料の掲載時点のものです。
卒業を確認できる人 44人
- 第1回 / 編集者の紹介大石浩之磐南から「磐田物語」へ|人物紹介を読む →
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キーボード・作曲
ADAM at
仕事帰りの観客が目当てのバンドの出番に間に合うように。平日のライブを企画していたADAM atさんが、自ら前座に立ってピアノを弾いたのは、そんな理由からだった。中学時代にシンセサイザーで作り始めた歌詞のない音楽が、やがて自分の仕事になった。
楽曲「六三四」はNHKのプロ野球中継のテーマ曲に。演奏する側になっても企画の仕事は続き、浜名湖ガーデンパークには、楽器だけで演奏するバンドを集めた。浜松市のインタビューでは、このフェスを目当てに遠方からも人が訪れる光景を思い描いている。
インストフェスのために浜松駅で下車させたい!
引用元 浜松市「この場所で おもしろいことを。」ADAM atさんのインタビュー、18–19頁(PDF) ↗ -
事業承継・保険
伊藤拓海
磐田で漁業を営む家に生まれた伊藤さんは、自分では家業を継がなかった。磐南から成蹊大学に進み、静岡銀行を経て、保険の仕事に就いた。浜松商工会議所の紹介によると、会社を誰にどう引き継ぐかという経営者の相談に携わる背景には、自身のこの選択がある。
同じ会議所の連載には、地元で働く人がお気に入りの一店を紹介する回がある。伊藤さんが選んだのは、勤務先の近くにあって昼によく訪れる十割そばの店「蕎麦忠」。鴨汁に入った半熟卵をいつ崩すかまで、通い慣れた人の目線で楽しみ方を伝えている。
家業を継がない選択をした経験から、会社経営者の事業承継や相続に携わっている。
引用元 浜松商工会議所「浜松経済人いちおしの味『蕎麦忠』」紹介者略歴 ↗ -
新聞・政治報道
与良正男
浜松出身の与良さんは磐南を卒業後、1981年に毎日新聞社に入った。東京本社の政治部で取材を重ね、社説や夕刊コラム「熱血!与良政談」を担当。テレビの報道番組にも出演したが、静岡での講演では、自分はまず新聞記者だと話している。
その講演で取り上げたのが、国の賃金統計だった。東京の事業所をどう調べたかという一見細かな問題から、失業した人が受け取る給付にまで話をつなげた。また、自分のコラムでも物事を単純に言い切る見出しほど読まれやすいと明かし、書き手を待つ落とし穴を語った。
公正さや事実、客観性を保つ最後の砦は、紙でもネットでも新聞記者だと自覚しています。
引用元 江崎新聞店・毎日大学「2019年を占う 新春!熱血政治談議」与良正男の発言 ↗ -
学習コラム
山田真央
勉強するとき、なぜそのペンを選ぶのか。磐南を卒業し、東京大学でスペイン語を学んでいた山田さんは、受験期に自分が筆記具を替えた経験から、身近な学生100人に尋ねた。2016年に発表したコラムによると、回答はボールペンが71人、シャープペンシルが29人だった。
山田さんが聞き取ったのは人数だけではない。間違えた字に線を引けば、消しゴムに持ち替えず次の行へ進める。高校時代から使い終えたペンを取っておき、それを眺めて自信にする人もいた。一本のペンの選び方から、それぞれの勉強の仕方が見えてくる。
周囲の東大生100人にアンケートをとってみました
引用元 STUDY HACKER・山田真央「東大生の7割はボールペン派!? 勉強にボールペンを使う3つのメリット。」 ↗ -
新聞・ノンフィクション
杉嶋岑
磐田市福田に生まれた杉嶋さんは、磐南を経て一橋大学大学院で経済政策を学び、1965年に日本経済新聞社に入った。経済団体の記者クラブなどで産業界を取材する一方、在職中から中国やベトナム、当時の東ドイツにも足を運んだ。
北朝鮮を初めて訪れたのは1986年。退職した年の12月、五度目の訪問を終えて帰国する直前、平壌で拘束された。そのときから2002年2月の解放までを自ら記したのが『北朝鮮抑留記』だ。2011年に草思社から刊行されたこの本では、長く取材する側にいた記者が、自分の身に起きた出来事を記録に残している。
二年二カ月抑留ののちに解放されたある新聞記者の回想記。
引用元 草思社『北朝鮮抑留記 わが闘争二年二カ月』書籍紹介 ↗ -
歯科・かみ合わせ
熊谷真一
歯の手入れを続け、炎症も治まっているのに、かみ合わせの状態が悪くなるのはなぜか。1985年に磐南を卒業し、浜松で歯科医院を開いた熊谷さんが、ほかの歯科医師と編んだ『新・力を診る』は、こうした臨床での疑問を出発点にしている。
着目したのは、歯が受ける力を直接見ることはできなくても、歯並びやエックス線写真の変化は追えること。熊谷さんは力を受ける側の条件を扱う章を執筆し、森本達也さんとは歯や歯列の変化を扱う章も書いた。編著者の序文では、観察した変化と原因とを直ちに結びつけない姿勢を示している。
略歴 Doctorbook academy・人物紹介 ↗現象の注意深い観察と推論が重要であることは変わりません.
引用元 市川哲雄・森本達也・熊谷真一『新・力を診る 臨床と研究の接点』序文、医歯薬出版 ↗ -
企業・金融法務
川島亜記
川島さんは1999年に磐南を卒業し、東北大学で法律を学んだ。弁護士になってからは都市銀行や外国銀行の法務部門に出向し、信託銀行では株式に関する事務を代行する部門でも働いた。その経験が著作に表れているのが、金融の仕事と法律の関係を扱う共著『基礎からわかる金融法務』だ。
企業をめぐる仕事には、起きた紛争を訴訟や調停で解決する場面と、紛争を予防するために相談を受ける場面がある。川島さんは事務所の紹介文で、後者の相談に応じるときにも、前者を経験した弁護士としてどこに目を向けるかを説明している。
争訟となった場合の展開を予想して取り組むようにしております。
引用元 島田法律事務所「川島 亜記」本人の紹介文 ↗ -
教育・法律
岩田周
岩田さんが初めに選んだ仕事は、埼玉県の学校で社会科を教えることだった。その後、法科大学院で学んで弁護士となり、文部科学省の私学部でも働いた。学校を教室からも行政からも見てきた人が、大学の運営に携わる読者に向けて書いたのが、畠山大志さんとの私立学校法についての寄稿だ。
記事の中心にある問いは、大学を運営する理事を誰が選び、その判断を誰が点検できるのか。理事同士の対立で理事会が機能しなくなった例などを取り上げ、規程を書き換えただけでは解けない問題を示す。委員の人数や会議の費用まで、仕組みが実際に動く条件を検討している。
略歴 TMI総合法律事務所・人物紹介 ↗形式を整えるだけの表面的な規程の改定作業では対応として不十分である。
引用元 畠山大志・岩田周「私学法改正を大学経営にどう生かすのか(前編)」リクルート進学総研、2024年1月12日 ↗ -
企業実務・地方自治
中村たけし
磐田で育った中村さんは、ヒューレット・パッカードで、災害が起きても公的機関が業務を続けられるようシステムの構築を提案した。のちに不動産投資の仕事に移り、自分も暮らしていた恵比寿で、ガーデンプレイスの再開発に携わった。
共同で使う仕事場の運営を経験する一方、東京青年会議所の理事長も務めた。2016年に国連で開かれたサミットでは議長として、持続可能な開発目標のうちどれを優先するか、各国が表明するよう議論を進めた。渋谷区議会議員に初当選したのは2019年。本人の略歴には、区政に入るまでに取り組んだこれらの仕事が並ぶ。
公的機関に災害が発生しても業務を継続できるシステムの構築を提案していました。
引用元 中村たけし公式サイト「プロフィール」 ↗ -
法律・労働問題
亀家貴志
2017年に磐南を卒業した亀家さんは、京都大学の法学部と法科大学院を経て弁護士になった。働く人の退職金をめぐる疑問に答える共著記事のほか、休職期間が終わる直前に職場復帰の申し出があった場合を扱う事例解説も、藤原宇基さんと執筆している。
自動車保険をめぐる最高裁判決の解説では、事故で亡くなった人の子どもたちが相続を放棄した事例を取り上げた。保険金を請求する権利は誰に引き継がれるのか。事故の経緯、契約の条項、裁判所の判断を順にたどり、同じ相続でも何が争点になったのかを読み解いている。
略歴 岩田合同法律事務所・人物紹介 ↗保険金の請求権は、同人の相続財産に属するとされた事例
引用元 亀家貴志(文責)・上田淳史(監修)「保険金請求事件」判決要旨、岩田合同法律事務所、2026年8月、1頁(PDF) ↗ -
農業用水
新村麻実
水田に引く水は、下流ほど温かいのか。谷口智之さんと小貝川流域を調べ、8月の晴天が続いた4日間について、上流・中流・下流の3地点で平均水温を比べた。
米が高温で傷むのを防ぐため、水田に水を絶えず流し込む方法がある。その水自体が温かかったらどうなるか。新村さんたちは2012年、水の入り口と出口に計器を置いた。用水路を流れる間に上がった水温は、川に戻る頃には下がっていた。水田が下流の川を温めるという当初の予想を、実測から問い直した研究だ。
中流地点が最も高温になった。
引用元 新村麻実・谷口智之「水田地域を多く含む流域における農業用水の温度変化」294頁(PDF) ↗ -
販促・デザイン
松下昌人
商業施設で販売促進を担当した後、松下デザイン企画を創業した。個人店からショッピングセンターまで、売り場を支える企画や制作を手がける。
磐田で育ち、磐南から龍谷大学経営学部へ進んだ。独立したのは2020年の元日。翌年4月には株式会社を設立した。会社が引き受けるのは広告物の制作だけでなく、販促の運営まで。商業施設で販売促進を担当していた経歴が、そのまま起業後の仕事につながっている。
2020年1月1日松下デザイン企画を起業。
引用元 松下デザイン企画「MEMBERS」松下昌人の項 ↗ -
ウェブ・映像制作
松下文
東北大学の教育学部と大学院を経て、松下デザイン企画の制作を担当。店や施設の情報を、ウェブでも映像でも届ける仕事をしている。
昌人さんと同じ磐田出身で、磐南の卒業生でもある。会社のメンバー欄を見ると、商業施設で販促を経験した代表の昌人さんに続いて、文さんが制作担当として紹介されている。教育学を学んで大学院を出た文さんが、いま仕事で使う表現手段は、画面に載せるデザインから時間を使って見せる映像まで幅がある。
web制作から映像制作、各種デザインまで幅広く担当。
引用元 松下デザイン企画「MEMBERS」松下文の項 ↗ -
薬学・企業経営
塚本厚志
薬学部からドラッグストアのセイジョーに入り、のちにココカラファインの社長に就いた。袋井南中の同級生との対談では、一人ひとりが経験から学ぶことをチームづくりに重ねた。
袋井南中の最初の1年生だった頃、野球部の練習は小石の交じる校庭で行った。生徒自身がローラーを押して地面をならしたという。後年の対談で、塚本さんは経験を通して学ぶことを社員にも勧めている。部員とグラウンドをつくった少年と、異なる意見を新しい事業に生かそうとする経営者の話が、同じ紙面に収まっている。
個々の学びはチームを強くします。
引用元 袋井市『広報ふくろい』2017年9月号、3頁・塚本厚志の発言(PDF) ↗ -
商社・起業
寺井良治
日商岩井でバンコクに駐在し、その後イービストレードの社長に就いた。塚本厚志さんとの対談では、開校したばかりの中学で、生徒も学校をつくる側だったと振り返る。
中学では陸上部の棒高跳びの選手。跳ぶための設備を整えようと、自分たちで穴を掘った記憶がある。磐南の卒業後は早稲田大学で応用化学を学び、商社で海外勤務を経験した。自らベンチャー企業を立ち上げた原点を問うように、対談では、先生も生徒も手探りで校風をつくった中学時代を振り返っている。
私がベンチャー企業を立ち上げたのも、この時の経験があったからかもしれません。
引用元 袋井市『広報ふくろい』2017年9月号、2頁・寺井良治の発言(PDF) ↗ -
眼科
鈴木寛子
東邦大学医学部と浜松医科大学大学院で学び、磐田で眼科診療に携わる。すずき眼科の院長あいさつには、地元に戻ったときの言葉がある。
高校まで過ごした土地に、今度は眼科医として帰ってきた。医院を構えたのは磐田市東原。院長の言葉には、目のことで困ったとき、身近に相談できる医師でありたいという願いがある。略歴には眼科専門医の資格とともに、子どもの目や弱視・斜視に関わる学会への所属も記されている。
高校卒業までこの地で育ち、約20年ぶりに戻って参りました。
引用元 すずき眼科「院長あいさつ」鈴木寛子 ↗ -
歯科
桑原新之介
日本大学の歯科病院で部分入れ歯を専門とする科に在籍し、富士市での診療を経て、2008年に磐田で桑原歯科医院を開いた。
部分入れ歯の科に在籍したのが5年、その後、富士市で分院長を務めたのも5年だった。自身の医院では、入れ歯を装着したあと、口に合わせて調整するところまで歯科医師が行うと説明している。磐田市立中部小学校の校医としての役割も、医院が公開する略歴の一つだ。
産まれ育った磐田市で微力ながら口腔ケアのお手伝いが出来たらと思っております。
引用元 桑原歯科医院「院長挨拶」桑原新之介 ↗ -
歯科
鈴木文明
奥羽大学で歯学を学び、山梨での病院勤務を経て2010年に甲府市住吉で開業した。開業から5年を迎えた際、患者へのメッセージで地元の人たちに受け入れられた喜びを語った。
1986年に磐南を卒業し、奥羽大学を出た1992年から山梨の病院で働いた。院長のメッセージで具体例に挙げているのは、歯ぎしりや食いしばりといった、かみ合わせの悩みだ。歯を補う治療やかみ合わせの研修を受けた経歴と、一人ずつ異なる原因を診て治療法を考えたいという説明とがつながる。
患者様一人ひとりによって異なる「最適な治療法」を見つけ、ご提案いたします。
引用元 鈴木歯科南甲府クリニック「患者様へのメッセージ」鈴木文明 ↗ -
司法書士
天野勝博
水窪で生まれ、高校時代は磐田で過ごした。家業の建築資材販売を手伝い、2000年に司法書士として開業。本人のあいさつには、北遠から掛川まで依頼者のもとを回る日々が描かれる。
開業した土地は故郷の水窪。その後、事務所を天竜、浜松へ移した。本人が挙げる仕事先の地名は、水窪・佐久間から湖西市新居町、袋井、掛川にまで及ぶ。農家の人たちと話すうちに何かの役に立ちたくなる、というくだりには、依頼を受けた先へ出向く遠州の司法書士の日常がよく表れている。
司法書士の仕事は、地域住民の生活に近いところにあるとおもいます。
引用元 天野勝博司法書士事務所「ごあいさつ」天野勝博 ↗ -
言語・教育
小木裕文
中国文学を学び、東南アジアの華人社会と言語教育を研究した。著作目録には、シンガポールやマレーシアで中国語がどう教えられてきたかをたどる論文が並ぶ。
1968年に磐南を卒業。大学院では中国文学を専攻した。主要著作目録を年代順に追うと、華人社会の文学から、学校や教育政策に目を向けた仕事へと関心の広がりが見える。マレーシアでも国全体をひとまとめにせず、クランタン州、サラワク州、サバ州の社会と教育をそれぞれ論文に取り上げている。
シンガポールの華人社会と華語教育
引用元 立命館大学「小木裕文教授 略歴・主要著作目録」iii頁、1982年の論文名(PDF) ↗ -
電子回路
瀬尾真人
静岡大学で電気電子工学を学んだ。研究室で取り組んだのは、放射線の影響を受ける環境でも使える回路。光で構成を変えられる回路を対象にした。
2010年に磐南を卒業し、静岡大学の工学部から大学院へ進んだ。研究室の記録には、修士課程で受けた電子情報通信学会東海支部の学生研究奨励賞と、仲間と出場した回路設計競技の両方が載る。2015年の設計競技では、一般部門と組み込み部門の優勝チームに名前がある。
差分光再構成型ゲートアレイの放射線耐性向上手法
引用元 静岡大学・渡邊研究室「瀬尾真人」研究テーマ ↗ -
サッカー
岡本達也
ジュビロ磐田で2年間プレーして順天堂大学へ進み、卒業後は水戸と鳥取で再びプロのピッチに立った。講師紹介には、チームを選手の側から支えた経歴も載っている。
企業向けの講演で取り上げたのは、声を掛け合って動くブラインドサッカーだった。案内には、参加者が実際に体験し、ふだん仕事で交わす言葉やチームのあり方を考える趣旨が記されている。競技をする側、選手会を担う側を経験し、新規事業の立ち上げにも携わった人ならではの講演テーマだ。
Jリーグ選手会副会長も歴任。
引用元 中部ガス「事業継続計画(BCP)基礎セミナー」講師プロフィール(PDF) ↗ -
内科・消化器内科
志村輝幸
自治医科大学を卒業し、静岡県内各地で内科診療に携わった。藤枝で消化器内科を学び、磐田に戻って外来と健診を担当した。
磐南を卒業したのは1996年。公立森町病院、引佐赤十字病院などで一般内科の患者を診たのち、藤枝市立総合病院の消化器内科に6年勤めた。磐田で開いたクリニックでは胃と大腸の内視鏡検査を院長自身が担当する。幅広い病気を診る地域の医療と、消化器を詳しく調べる専門診療の双方を経験してきた。
県内へき地で多種にわたる内科疾患を診療する機会に恵まれました。
引用元 しむら内科・消化器クリニック「医師紹介」志村輝幸 ↗ -
知的財産
鈴木崇大
東京大学で機械情報工学を学び、キヤノンで働いた経験を持つ弁理士。技術を権利として守る仕事に携わり、所属事務所はその範囲を次のように記している。
大学院でも機械と情報を扱う分野に進み、メーカー勤務中の2018年に弁理士登録。所属先が挙げる専門技術は、機械のほか電気・通信・半導体やソフトウェアにも及ぶ。仕事は発明を出願する段階から、その権利が争われた場合の調査や書類作成まで、技術と法律の両方を読む必要がある。
国内外の特許出願や登録手続
引用元 アンダーソン・毛利・友常法律事務所「鈴木 崇大」 ↗ -
建築設計
後藤周平
磐田出身の建築家。「山手の家」で静岡県住まいの文化賞優秀賞を受けた。設計の打ち合わせでは、大きな模型を使って住み手と空間を確かめるという。
京都工芸繊維大学の大学院を修了し、中山英之建築設計事務所を経て独立した。受賞作には「小笠の浮き家」や「山手の家」など住まいの名前が並ぶ。大きな模型を使うのは、図面だけではつかみにくい空間を依頼主と一緒に見て、一つずつ決めていくためだと事務所は説明している。
建築の面白さを共有し、設計プロセスを楽しむ
引用元 後藤周平建築設計事務所「事務所紹介」 ↗ -
建築設計
渡辺隆
磐田を拠点に、行政・企業・個人の建築を手がける。自身の設計事務所では働く環境にも工夫を凝らし、近隣の店を職場の食堂に見立てる制度を設けた。
1992年に磐南を卒業し、金沢工業大学で建築を学んだ。設計事務所での勤務を経て、2008年に自分の事務所を開設した。昼食を取る場所に加え、職員が自分の仕事用の椅子を選べる制度や、流す音楽の当番もある。事務所紹介には、建物を設計する人自身がどんな場所で働くか、という問いへの具体的な答えも並んでいる。
周辺飲食店の社員食堂指定
引用元 渡辺隆建築設計事務所「ABOUT」 ↗ -
住宅設計
岸井紀
浜松の住宅会社で設計と現場管理、営業を経験し、2010年に岸井設計室を開いた。理想の家をすぐ言葉にできない住み手に、まずどう向き合うかを自ら綴る。
希望の間取りをすぐに答えられない人にも、好きだった映画の一場面や、子どもの頃に見たアニメの部屋が心に残っているかもしれない。岸井さんはそんな例を挙げ、お茶を飲みながら話す時間を大切にしている。依頼主が持っている住まいのイメージを、一緒に言葉にするところから始める設計だ。
私の仕事は、あなたの話を聞くことです。
引用元 岸井設計室「一級建築士 岸井紀プロフィール」 ↗ -
放送・ニュース
伊藤弘美
子どもの頃に見ていたテレビ静岡の番組を、入社後は伝える側として担当した。ニュースの生放送で予期しないことが起きたときの心構えを、2016年の取材で語っている。
最初に担当した広報番組は「ドレみ~る」。番組名が違っていた子どもの頃から親しんでいた枠で、自分が今その役をしていることを不思議に思ったという。入社2年目の春からはニュース番組へ。生放送で急な変更に出合っても落ち着いて読めるよう、体調を毎日そろえる難しさまで当時の取材で明かしている。
そういう時ほど深呼吸をして、いつも通りに。
引用元 日刊スポーツ「緊急時こそ深呼吸し平常心で」伊藤弘美の発言(2016年2月13日) ↗ -
放送作家
すずきB
早稲田大学在学中に雑誌のライターと放送作家の仕事を始め、料理番組『魂のワンスプーン』を企画した。作家名の由来は、学生時代の現場で同じ名字が重なったこと。
最初の担当番組として挙げているのは、1990年の『さんまのナンでもダービー』。その後、音楽番組にも携わり、食をテーマにした企画を次々に手がけた。2006年の『嗚呼!花の料理人』では、異なるジャンルの料理人が顔を合わせる。本人の仕事歴を追うと、番組ごとに料理の何を見せようとしたかも読める。
番組の学生バイトに、「鈴木」が二人いたため
引用元 すずきB「すずきBプロフィール 2006・秋」 ↗ -
ピアノ
金澤亜希子
東京音楽大学からハンガリーのリスト音楽院へ学びに渡ったピアニスト。「倉本聰とその世界」の磐田公演では、地元の舞台で協奏曲の独奏を担った。
磐田での協奏曲とは編成の異なる舞台も経験している。米国フィラデルフィアのサミュエル・バーバー国際フェスティバルでは、トノニ弦楽四重奏団と共演した。所属先に寄せた文章では、日常にも自然にある音楽を、演奏する人がどうメッセージにして聴き手に手渡すかを、自分の仕事として語っている。
聴いて下さる方が、癒しだったり、感情の起伏だったり、自然に何かを感じていただければ、と思います。
引用元 ムジカアルタモーダ「金澤亜希子」音楽への想い ↗ -
写真
藤森久嘉
姫路で人物写真に取り組み、所属団体の異なる写真家が集う「ポートレート作家展」を19年にわたり開催した。平らな印画紙にどう奥行きを出すかを制作の課題とした。
磐南卒業後は商学を学び、銀座で会社に勤めてから写真専門学校に入り直した。1969年に姫路の写真場へ。撮影する側としての仕事に加え、中学生を訪ねて写真の魅力を伝えたり、高校生の職場体験を受け入れたりした。子どもが城を撮影する企画にも指導員として参加している。
1枚の薄いペーパーの上に、いかに立体的に、人物あるいは事物を表現するか
引用元 姫路文化賞受賞者紹介「藤森久嘉(写真)」2010年 ↗ -
岩石学・深海探査
道林克禎
マントルをつくる岩石を研究し、伊豆・小笠原海溝の最深部まで潜った。大学の公開講座では、潜航で何を求めていたのかをこんな題で語っている。
名古屋大学の「名大カフェ」で潜航の話をしたのは2023年。一般の聴衆に深海の話をする一方、大学の野外実習では学生と地上の岩石を観察している。高校生向けの研究紹介で選んだ題材はマントルとカンラン岩。深海に潜る探査と、手もとの石を観察する実習の両方が、本人のページからたどれる。
深海9801m,岩石学者が本当に欲しかったもの
引用元 名古屋大学・道林克禎のページ「第93回名大カフェ」の講演題 ↗ -
地球惑星科学
橋本恵一
磐南地学部で雷に伴う発光現象を追い、海岸の測量にも取り組んだ。大学で何を学ぶかを考えるきっかけになったのは、高校生として研究を発表した学会だった。
高校3年で参加した日本地球惑星科学連合の大会では、自分のポスターの前に大学の教員が立ち寄った。その人が教えてくれたのは、観測している雷をスーパーコンピュータでも研究できるという話だった。浜辺や空で現象を測ってきた高校生に、計算で現象を再現するという別の研究の道が見えた瞬間だ。
自分のポスターを担いでこれに参加していました。
引用元 東京大学「【学生の声2022】私の履歴書」橋本恵一の寄稿 ↗ -
医学・生体観察
河崎秀陽
磐南理数科から浜松医科大学へ。ナノスーツ法を医学に生かす研究に携わり、教員総覧には細胞診や耳鼻科疾患を扱った講演も掲載されている。
浜松医科大学で医学を学び、再生感染病理学の講座を経て、生体を画像で調べる研究に進んだ。業績の一例が、ウシの下垂体の凍結切片を使い、光学顕微鏡と電子顕微鏡の像を対応させる方法を扱った論文だ。組織をどんな方法で観察するかという技術開発と、病理の現場で何を見分けたいのかという問いが重なる。
ナノスーツ法による医療診断への応用
引用元 浜松医科大学「河崎秀陽」教員総覧・著書欄 ↗ -
光と物質
石橋一晃
薄い金属膜に光を当てたときに生じる電磁波を研究。ビスマス薄膜を扱った修士論文から、金属薄膜に対象を広げた博士論文へと進んだ。
東北大学で手がけた卒業論文では、磁気の変化を時間を追って捉える顕微鏡を用いた。修士・博士課程で取り上げたのは、光の偏り方と金属薄膜から放射される波の関係。同じ光を使っても、物質の振る舞いを測る研究から、どんな光を当てると別の波が生まれるかを調べる研究へと移っている。
金属薄膜における円偏光誘起テラヘルツ波放射
引用元 大阪大学・松原研究室「石橋一晃」博士論文の題名 ↗ -
電子回路
寺田涼
静岡大学で電気電子工学を学んだ。計算回路に一時的な誤りが起きても動作を保つため、回路を重ねて備える方法を研究した。
磐南を2013年に卒業し、静岡大学工学部に進んだ。研究室の業績欄には、あとから回路の構成を書き換えられる半導体「FPGA」の設計競技も登場する。2016年と2017年の国際競技で、いずれも1位となったチームの一員に名前がある。個人の研究テーマと、仲間と回路を設計した実績の双方が残る。
多重回路によるソフトエラー耐性の向上
引用元 静岡大学・渡邊研究室「寺田 涼」研究テーマ ↗ -
美術教育・まちづくり
鈴木光男
磐田市近隣で19年、小学校の教壇に立った。美術教育に携わり、大学の公開講座では、自分たちの子ども時代と今を比べながら、子どもが育つ街を考えた。
2025年の講座では、神社や近所の裏道、子どもだけの秘密基地が遊び場だった頃の話から始めている。道具を工夫し、ルールを決め、もめたときには相手と折り合いをつける。そうした経験のどこで自主性や想像力が育っていたのかを問い、子どもが暮らす街のつくり方を考える内容だ。
神社に行けば、いつも誰かがいた
引用元 聖隷クリストファー大学・鈴木光男「現代のこどもを取り巻く環境」2025年、スライド10(PDF) ↗ -
体育教育
川島隆
磐田市内の小学校で教えた経験を持つ。園の運動遊びが小学校の体育にどうつながるかを、保育者と小学校教員の両方に聞き取った。
子どもが園から学校へ移るとき、学びの何が続いていくのか。この問いは、体育のほか、生活科の授業づくりや、子どもが自分の学びを振り返る意味を調べた仕事にも表れている。大学の教員紹介には、教職を離れてからも磐田市内の小学校図書室で読み聞かせのボランティアに携わったことが記されている。
運動遊びと体育科に関する幼小接続の在り方の検討
引用元 浜松学院大学「川島 隆」業績欄・甲賀崇史との共著論文(2022年) ↗ -
法律
石川雅大
磐南理数科から慶應義塾大学法学部に進み、広告会社でも働いた経験を持つ。2014年に自身の法律事務所を開き、浜松と磐田に事務所を構える。
大学院では法学研究科と法務研究科の両方を修了した。2009年の司法試験合格、翌年の司法修習修了を経て、最初に弁護士として勤めたのが洞江法律事務所だった。独立後の磐田事務所があるのは、母校と同じ見付。理数科で高校生活を送った土地に、法律相談を受ける拠点を持つに至った。
株式会社博報堂での勤務経験あり
引用元 弁護士法人石川雅大法律事務所「弁護士紹介」職歴欄 ↗ -
法律・相続
鈴木成公
議員秘書を経て司法試験に合格し、2012年に弁護士登録。プロフィールでは、相談者が不利な事情も含めて話せることが、事前の備えにつながると説く。
早稲田大学で法律を学び、明治大学の法科大学院を修了した。本人のメッセージが具体的に取り上げるのは、依頼者にとって話しにくい事実をいつ伝えるかという場面。相手方から指摘される前に弁護士が事情を知っていれば、どんなリスクがあり、どんな備えができるかを一緒に考えられると説明している。
「正直者が馬鹿を見ない社会」を目指して
引用元 新大塚法律事務所「鈴木成公」弁護士からのメッセージ ↗ -
法律
柿本悠貴
京都大学で法学を学び、名古屋で司法修習を受けた。弁護士を志した理由を、自分の考えを自由に表せることへの思いから語っている。
先輩弁護士から贈られた言葉を今も大切にしている。相手が大きな組織だったり、証拠が乏しかったりしても、依頼者の言い分に理があるかを自分で考えるという教えだ。仕事の話に続く自己紹介にはマラソンも登場する。旅行を兼ねて各地の大会に出場し、フルを3時間以内で走った経験も複数回あるという。
自由であることの尊さ・表現できることの大切さ
引用元 愛知さくら法律事務所「柿本悠貴」本人の挨拶 ↗ -
地方自治・国際交流
大場規之
袋井市宇刈出身。理工学部を卒業して堀場製作所のフランス法人に勤務し、県議を経て袋井市長に就いた。地域で担った役割の一つにも国際交流がある。
1983年に磐南を卒業し、慶應義塾大学で理工学を学んだ。市政で関わった取り組みとして本人が紹介している一つが、袋井の「まちじゅう図書館」。市立図書館3館と小中学校の図書館16館を結んだ。市民の健康を長期にわたって調べ、その結果を市民講座で還元する「ふくけん」も、自らの活動記録に挙げている。
袋井国際交流協会 会長
引用元 大場規之公式サイト「プロフィール」過去の主な役職 ↗ -
農業金融・政治
小山展弘
磐南では弓道部に所属。大学院で政治学を学んだ後、農林中央金庫に勤務した。2009年に衆議院議員に初当選し、農林水産委員などを務めた。
磐田第一中学校では水泳部、磐南では弓道部で過ごした。農林中央金庫を退職した2006年に松下政経塾へ入り、その後、国政に進んだ。公式の活動歴には、農林水産委員会の理事のほか、協同組合の振興や茶業に関わる議員連盟での役割がある。金融機関を出た後も、農業を支える組織との関わりが続いた。
農林中央金庫(JAバンク)入庫
引用元 小山展弘公式サイト「プロフィール」経歴欄 ↗
在学・進学が資料に記載されている人 3人
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映画監督
池田千尋
磐南在学中に自主映画を制作し、長編『東南角部屋二階の女』を監督した。公開後の袋井市の取材では、映画を観たあとに何が残ってほしいかを語っている。
映画を撮りたいと思ったのは中学2年の頃。高校の文化祭で自作を上映すると、観た人それぞれから違った反応が返ってきた。上京後は大学と並行して映画美学校に通い、撮影現場で人が役割を分けて一本を作ることを学んだ。のちに助監督を経験し、東京藝術大学大学院の監督領域に一期生として入った。
映画を観た人の心や生き方に何かひっかかりが残るような作品を作りたいです。
引用元 袋井市『広報ふくろい』2009年4月号、14頁・池田千尋の発言(PDF) ↗ -
作曲・編曲
山下康介
東京音楽大学で映画・放送音楽を学び、大林宣彦監督の映画で劇伴作家としてデビュー。アニメ『ちはやふる』の作品紹介には、テレビドラマでの仕事も記されている。
大学在学中は羽田健太郎さんや小六禮次郎さんのもとで仕事を学んだ。大林監督の『三毛猫ホームズの推理』から映画音楽に携わり、ドラマ『花より男子』やアニメ『ちはやふる』へと仕事の場を広げた。朝の連続テレビ小説『瞳』でメインテーマの旋律を担った楽器はトロンボーンで、演奏は中川英二郎さんだった。
2008年にNHK連続テレビ小説「瞳」の音楽を担当。
引用元 日本テレビ『ちはやふる』音楽・山下康介の紹介 ↗ -
サックス・歌
YODAX
袋井出身のサックス奏者。2016年に活動の拠点を東京から地元へ移し、静岡県西部で演奏を重ねた。磐田でのライブの出演者紹介には、歌と楽器を結ぶ演奏観が表れている。
浅羽中、磐南を経て洗足学園音大で学んだ。磐田市民文化会館の公演資料では、イワタドリームバンドのサックス担当として紹介されている。クラシックで培った音色を土台に、楽器を吹くことと実際に歌うことの両方を舞台に持ち込む奏者だ。2023年にはオリジナルアルバム『more…』も発表した。
歌うように奏することをモットーとしている。
引用元 磐田市民文化会館かたりあ「IWATA DREAM LIVE 2025」出演者紹介 ↗

